ナザレというガリラヤの町に、一人の乙女がいた。
乙女の名はマリア。
神を心から信じる、純粋な少女である。
夜も更けた頃。
彼女は地に膝をつき、胸の前で手を組んで祈りを捧げていた。
「神さま………今日一日、無事に過ごせましたことを感謝いたします」
そして明日も、どうかよい一日でありますよう………
マリアはそう願い、立ちあがろうとした。
すると、次の瞬間。
明るく大きな光が彼女を包んだ。
「あ………」
マリアは眩しさに目を閉じた。
しばらくして、光がおさまったのを感じ、恐る恐る目を開く。
「………まぁ」
開いた目に入ってきた光景に、マリアは驚きをあらわにした。
その瞳に写るのは、二人の男女。
いや、男女と称していいものだろうか。
なぜなら、二人の姿は普通の人と変わらないまでも、その体は光を纏っており、そして背には純白の翼がある。
天使。
そう称すべき者たちだ。彼ら天使に性別はないと聞く。
マリアは突然のことに言葉を失っていた。
そんな彼女に、女――に見える――の天使が笑いかけた。
「恐がらなくていいぞ、マリア。私の名はガブリエル。主の使いの者だ」
「ガブリエルさま………?」
「あぁ、そうだ」
笑って頷くガブリエルに、マリアはほぅと息をつく。少しは安堵したようだ。
ふと、マリアはガブリエルの後ろに立つ男――に見える――の天使に目をやった。
「そちらの天使さまは………」
「あ、こいつは私に付いてくれている天使で………」
「恋人だ」
きっぱりと言い切った天使に、ガブリエルは硬直し、マリアはあらあらと微笑んだ。
「天使さまも恋人がいらっしゃるものなのですね」
「当たりま」
「違うだろっ!」
当然の如く頷こうとした天使に、ガブリエルは拳を振るった。
「わ、私とお前は、ただの上司と部下だ!」
そう怒鳴る顔は、真っ赤に染まっている。
前のめりに倒れこんだ天使は、殴られた頭をさすりながら、懲りずに笑った。
「照れない照れない、ガブリエル」
「て、照れてなど………というか様付けしろ!」
「はいはい」
空返事をしながら肩をすくめてみせる天使を、ガブリエルはもう一度殴りつけたくなった。
しかし、はっともう一人の、マリアの存在を思い出す。
慌ててそちらに目をやると、彼女はくすくすと笑っていた。
「仲がよろしいのですね」
に、人間に笑われたっ………!
天使としての威厳を損なってしまったガブリエルは、激しくショックを受けた。
そんなガブリエルの肩を、天使が優しく抱く。
「大丈夫だ、気にするなガブリエル」
「……あぁ……ん?」
殊勝にうなだれていたガブリエルは、何かおかしいと首を傾げた。そして事実を思い出し、天使の首に手をかける。
「というかお前のせいだろうがーっ!あと、肩を抱くな、様付けしろ―――!」
天使の首を締め上げながらガブリエルは吠える。
もうこのさい、威厳などどうでもよかった。
「ほ、本題に、入ら、なくて……い、のか?」
意識が飛びそうになりながらも、天使はうごめいくような声で言う。
ガブリエルはあ、と思い出したように声を上げ、そのまま天使を突き放した。
「そうだ、忘れてた!マリア!」
「はい?」
ガブリエルと天使のやり取りを静観していたマリアは、名前を呼ばれ、小首を傾げた。
そんなマリアに、ガブリエルは咳払いを一つし、姿勢を正す。
「マリア、私たちはお前に告知しにきたんだ」
「告知、ですか?」
「そうだ」
ガブリエルは天使のような――実際天使なのだが――微笑を浮かべ、両手をマリアに向けて伸ばした。
「恵まれた女よ、おめでとう。主が、あなたとともにおられる」
「………?」
マリアは、何を言われたのかわからなかった。
きょとんとするマリアに、ガブリエルはなおも続けた。
「マリア、お前は神から恵みをさずかったんだ。お前は身篭って、男の子を産む」
マリアは、目を大きく見開いた。
「私が……子供を?そんな………」
信じられないといった様で、マリアは口元を手で覆う。
そんなマリアの反応に、ガブリエルは重々しく頷いた。
「驚くのも無理はない。お前はまだ、結婚をしていないのだからな」
マリアには夫がなかった。いや、まだなかったと言ったほうが正しい。
彼女はダビデ家の出であるヨセフという男と許嫁の仲だった。
その男と一緒になる前に子を成したと言われても、信じることなどできないだろう。
ガブリエルは暖かな笑みを携え口を開いた。
「安心しろ、マリア。その子供は聖霊により宿ったんだ。だから何も………」
心配するな。
そうガブリエルが言い終える前に、マリアは歓声に似た声を上げた。
「なんと喜ばしいことでしょう。私に赤ちゃんができただなんて」
頬を両手で包み、マリアは幸せそうに微笑む。
ガブリエルはえ、と目を大きくした。
「ちょ、ちょっと待て!なに普通に受け入れてるんだ!?」
「はい?」
「お前はまだ結婚していないんだろう!?だったら、その……あーなんだ………」
ガブリエルはもごもごと口篭もる。その頬はほんのり赤くなっている。
「えーと………」
「男とピ―――してないのに子供ができたのをおかしいと思わないのか?」
言葉を捜していたガブリエルの代わりに、天使が核心をついた。憮然としたその顔には、微かに好奇心がちらついている。
そんな天使に、ガブリエルはかぁっと赤くなって、その胸倉につかみかかった。
「おま……はっきり言いすぎだ!バカ天使!」
恥ずかしさを怒りで隠そうとするガブリエルに、バカ天使はにへらっと頬を緩ませる。
「ガブリエルは可愛いなぁ」
「黙っれ――――!」
ガブリエルの、見事な一本背負いが決まった。
壁に叩きつけられた天使に、マリアは近づき首を傾げる。
「大丈夫ですか?天使さま」
「へ、平気平気。これも愛だからな」
「もう一回投げるぞ!?」
「あらあら。本当に仲がよろしいのですねー」
うふふと笑うマリアに、ガブリエルは何か言おうと口を開きかけ、やめた。
このままだと堂々巡りで話が進まない。
こほんっと咳払いをし、気を取りなおす。
「とにかく、マリア。お前の身篭った子供は聖なる力を持った子だ。産まれたら、イエスと名付けろ」
「イエス………」
かみ締めるようにその名を呟くマリアに、ガブリエルはにこっと笑った。
「イエスは大いなる者となり、いと高き者の子と唱えられるだろう」
「………はい」
マリアは目を伏せ、ガブリエルの言葉を、自分に宿った命の重さを、受けとめた。
そんなマリアにもう一度笑いかけ、ガブリエルは未だ倒れたままの天使の首根っこを引っつかむ。
「では、またいずれ会うだろうが、それまで体を大事にな」
それだけ言い置き、ガブリエルと天使は再び光に包まれ、消えていった。
後に残されたマリアは、自らの腹部にそっと手を当て、微笑む。
「イエス………早く、会いたいですわ…………」
後の救い主、イエスの母となる少女の姿は、慈愛に満ちたものだった。
‐おまけ‐
「ガブリエル」
「様。なんだ、バカ天使」
不機嫌極まりないガブリエルの返事に、天使はやれやれと息をつく。
「そんなに怒るなよ」
「うるさい。それより言いたいことがあるなら早く言え」
「………お前さ」
天使は、一呼吸分だけ息を置き、ずばり言った。
「いくらなんでも無理矢理話を終わらせすぎだろう」
いきなり“御使い”らしく『いと高き〜〜』とか言っちゃってさ。
とププっと含み笑いをする天使に、ガブリエルの短い気が、キレた。
「ぜんっぶお前のせいだろーが――――!」
第一幕・終了
‐あとがき‐
こんな感じで始まりました。
パロディ生誕話『birth』。
なんだかアスカガが目立ってます。実際、『birth』はアスカガ中心かも(笑)
だってガブリエルはこの後の第二幕以降もずっと登場して、他の者たちを導く役割を持ってますから。となるとバカ天使も付いていくし。
でも第一幕だけですでに純粋なキリスト教信者の方に怒られそうです(汗)スイマセンすいません;
第二幕以降もこんな調子ですので。お気をつけ下さい。
それでは、次はキラさま扮するヨセフの登場です。
まだ長いですが、お付き合いくだされば幸いです。
UP:04.12.21
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