「よっ、ラッキースケベ」
そんな、語尾に音符でもつきそうな声と言葉に、シンは飲んでいたコーヒーを吹き出しかけた。
口を押さえてそれは回避するものの、気管に入ってしまい、むせ返る。
しばらくして何とかおさまるが、すっかり息が上がっていた。
手の甲で口をぬぐい、シンは涙のたまった目をぎっと鋭くする。そしてそのまま振り返り、声を荒げた。
「ヨウラン!」
問題発言を放ったのは、ミネルバMS技術スタッフの一人、ヨウラン・ケント。彼はからかうようなこ馬鹿にしたような、そんな笑みを浮かべている。
その笑みがさらにシンの羞恥心を高めた。
「お、お前まだ言うのかよ!あれはわざとじゃないって何度も言ったじゃないか!」
真っ赤な顔で噛み付くように言ってくるシンに、ヨウランはけたけたと笑った。
「悪い悪い。なんっか忘れられなくってさー」
「忘れろ!いい迷惑だ!」
「だから悪かっ……」
ヨウランは苦笑しながらもう一度謝罪しようとしたが、それはできなかった。
「ラッキースケベって、何のこと?」
「わざとじゃないって、何のこと?」
そんな二つの言葉に、さえぎられたのだ。
この言葉を紡いだ声に、シンは音をたてて固まる。
さらに声がかけられた。
「「ねぇ、どういうこと?」」
綺麗にユニゾンされた催促に、シンは逃げ出したくなる。
ヨウランが先ほどとは違い、本気ですまなさそうに両手を合わしているが、そんなことはもうどうでもよかった。
シンは大きく深呼吸し、ゆっくりと声のした方に目をやる。
「……ルナ、メイリン………」
好奇心を隠さずに目を輝かせる、噂大好きホーク姉妹が、そこにいた。
「……そっかぁ」
「なるほどねー」
半無理矢理状態で『ラッキースケベ』のいきさつをシンから聞き出したホーク姉妹は、互いに顔を見合しうんうんと頷いた。
そして、目の前のソファーに小さくなって座るシンにちらりと目をやり……
「「スケベ」」
と放つ。
“ラッキースケベ”からただの“スケベ”へと降格されたシンはぎょっと瞠目した。
「な、なんでだよ!?」
わざとじゃないんだって!と抗議してくるシンに、ルナマリアは肩をすくめ首を振る。
「馬鹿ねー。やられた側にとっては、わざとかわざとじゃないかはどうでもいいのよ」
「胸を掴まれた時点でシンはその娘にとって変態に確定だねー」
姉の言葉に、邪気のない笑顔でメイリンが続けた。
「ヘ、ヘンタイ……」
ますます人格を降格されたシンは生気が抜けたように呆然とする。
そうなのか……俺はあの娘にとって、変態なのか……
どうしよう……訴えられたら……
意識がどこかに行ってしまったシンに、ルナマリアはあーあと息をついた。
「どうしたものかしらねー。どう思う?レイ」
「レイ!?」
突如浮上した名前に、シンは戻ってきた。
ルナマリアの視線の先をたどり、その姿を探す。
すると、入り口付近に、壁に背を預けるかたちでたたずむレイ・ザ・バレルがいた。
「いたのか!」
「……」
驚愕するシンに、レイは軽く頷くだけだ。
そこでルナマリアがはーいと手を上げる。
「あたしが呼んだの」
「何でだよ」
「兄が弟の不始末を知るのは当たり前じゃない」
「誰が兄で誰が弟だ!」
「ちなみにあたしは姉として聞いてあげたのよ」
「勝手に設定するなーー!」
いつの間にか兄と姉ができていたことに、シンは頭を抱えた。
そんなシンを無視して、ルナマリアはレイを手招きする。
「それで、レイ。あんたはどう思う?」
招かれた通りに近づいてきたレイに、ルナマリアは楽し気に再度尋ねた。
レイはしばらく考えるように黙すると、おもむろに口を開き
「……嫌われたのは確かだな」
とだけ言う。
ルナマリアは呆れたようにレイをこづいた。
「馬鹿ね。嫌われるもなにも、知り合いじゃないのよ、その娘とは」
「そうなのか……?」
「偶然ぶつかった娘よ。そうなんでしょ、シン」
「え、あ、うん」
「だから、嫌われるとかはどうでも……」
いい。と言いかけたルナマリアをさえぎり、今まで静観していたヨウランが口を開いた。
「でもさ、その娘けっこう可愛かったんだよなー」
「え、そのなの?」
きょとんと目を瞬くメイリンに頷き、ヨウランは続ける。
「金髪でさ、華奢で、はっきり顔は見えなかったけど相当美少女だね」
思い出しつつ顔をにやつかせるヨウランに白い目を向け、メイリンはシンを振り仰いだ。
「そうだったの?シン」
「え、と……」
話を振られたシンは眉を寄せ、記憶をたぐった。
腕の中に収まった体は華奢で、軽くて、柔らかくて。
さらっとした金の髪はとても綺麗で。
そして何より、自分を振り仰いだきょとんとした表情は、とても愛らしかった。
「……うん、可愛い娘だった、かな」
口調を和らげそう発言したシンに、ルナマリアとメイリンは目を丸くする。
「シンが……女の子を可愛いって言った!?」
「そういったことにはものすごく無頓着なシンが!」
「すごい!すごいわ!」
「どんな娘か見てみたいー」
「え、ちょ……」
そんな風にきゃーきゃーと盛り上がられ、シンは無償に気恥ずかしくなった。
そんなに珍しいのだろうか。
自分が女の子を可愛いと思うのは。
あぁでも確かに。ヨウランたちがそういう話を振ってきても興味なかったなぁ。
騒ぐ姉妹を横目に、そんなことを思っていたシンの耳に、小さな、でもはっきりとした呟きが入り込んできた。
「だが……嫌われたんだろう」
その場の華やいでいた空気が、一瞬で凍った。
皆、固まったまま呟きの主を凝視する。
「……なんだ?」
呟きの主、レイは皆の視線に軽く首をひねった。
そんなレイに、いち早く解凍したルナマリアが額に手を当て深いため息をつく。
「―――馬鹿っ、余計なことを……」
せっかく、シンに色のついた(かもしれない)話が出たのに。
せっかく、面白くなりそうだったのに。
ほら見なさいよ。シンの奴、どこか遠くにいっちゃったじゃない。
紅い瞳は焦点が定まっておらず、何か生気のようなものが口から飛び出していそうな感じのシンに、ルナマリアはちっと舌打ちをする。
始まる前に終わってしまった“恋”ほどつまらないものはないわね。
などとルナマリアは勝手なことを思って悔しがった。
レイは訳がわからないと言った風に眉根を寄せ
「だが、次に会った時にちゃんと謝ればいいだろう」
と至極当然のように言った。
またもや全員がレイに注目する。シンも目を瞬かせた。
「……謝る?」
「そうだ。失礼なことをしたのなら、謝るのが当たり前だろぅ……」
「さっすが兄!いい事(も)言うしゃない!」
ただでさえ小さめのレイの声を掻き消す勢いで、ルナマリアが声を張り上げる。
「シン、レイの言う通りよ!土下座する勢いで謝りまくりなさい。あたしならそれプラス平手十発で許すわ!」
「じ、十発!?」
「当たり前よ。乙女の胸を触った代償は重いのよ。それで許してもらえるならもうけだわ」
「そ、そうなのか……でも、またあの娘に会えるとは限らな……」
「会いたいと思ってれば会えるわよ!シン、あんたは会いたくないの!?」
「え……俺は……」
最後に見たのは、鋭い瞳。険しい表情。
彼女は怒ったのだ。
自分の、行為に。
それは絶対に謝罪しなくてはいけない。
だから、会わなくてはいけない。
いや、そうでなくてもただ………
「会いたい……」
シンは無意識に、思ったことを口にした。
それに自分でも驚き、かぁっと頬に朱を昇らせる。
そんな反応をするシンに、ルナマリアは顔を輝かせた。
「よく言ったわ、シン!大丈夫!絶対会えるわよ!」
「あ、あぁ……」
勢いにのまれたように、シンはこくりと頷く。
ルナマリアは手を胸の前で組みながら、うふふと笑った。
「楽しくなってきたわー、ね、メイリン」
「そうだね、お姉ちゃん」
メイリンは姉と同じようにうふふと笑う。
シンは目を瞬いた。
「え、楽しく……?」
どういうことだ?
と首を傾げるシンを無視して、ルナマリアとメイリンは立ち上がる。
「早速、これからの事を考えなくちゃ」
「作戦会議〜」
「あ、レイ。あんたも来なさい。兄として」
レイが返答する前に、ルナマリアは彼の腕を掴んで引っ張っていた。
「おい、ルナ!何を……」
事態の飲み込めないシンに、ルナマリアはびっと親指を立てた。
「全部あたしたちにまかせてなさい」
「だから何を!」
「さ、行くわよー」
またもシンを無視し、ルナマリアはメイリンを引き連れ、レイを引っ張り、去って行った。
「……シン、オレも行くわ。仕事残ってるし」
そそくさと、ヨウランも去る。
自分の発言のせいで、思わぬ事態を引き起こした為、とりあえず逃げることにしたのだ。
そうして残ったのはシンただ一人。
シンは、呆然と呟いた。
「……次にもしあの娘に会えるなら……あいつらがいない所でありますように……」
いるのかいないのかわからないが。
神様、どうかこの願いを聞き届けてください。
アーメン。
END